この特集を読む
豊田町から、磐南へ。小学校のサッカー、磐南で迎えた高校生活の終わり、大阪での浪人生活。大石が初めて磐田を離れた頃のことを、本人が書き残した言葉とたどる。↗
合代島から始まった介護の仕事東京で担当したのは、訪問介護のヘルパーを調整する仕事だった。磐田に戻った大石が、今度は住まいそのものをつくる側に立つ。最初の一棟から安久路、見付へと続いた会社の歩み。↗
親が引っ越したあと、実家をどうするか。介護の住宅を運営する大石にとって、入居後に空く家も家族の暮らしの一部だった。そこから始まった不動産仲介の仕事と、実家について考えるための「カルテ」を紹介する。↗
「磐田物語」を書く理由昔の通りの名前や、家を解く前に残した一枚の写真。土地の値段にも建物の図面にも載らない記憶を、次の人が読める形にしたい。その思いから生まれた地域史と、母校をめぐる個人編集の仕事。↗
大石浩之のサイトをめぐる磐田の地名を調べる。親の家のことを考える。好きな曲をもう一度聴く。大石個人の発信と、代表を務める富士ヶ丘サービスの公開サイト・企画を、読みたいものから選べるようにまとめた。↗
磐南卒業から現在まで
- 1998年
- 静岡県立磐田南高等学校普通科を卒業。大阪での浪人生活を経て、関西学院大学商学部へ。
- 2003–2010年
- 大学卒業後、情報システムの会社へ。翌年、介護事業者に移り、訪問介護の調整から経営企画までを経験した。
- 2011–2014年
- 富士ヶ丘サービスを創業。合代島で高齢者住宅を開き、安久路と見付にも拠点を設けた。
- 2018年
- 介護の現場で意識するようになった空き家の問題に取り組むため、宅地建物取引業を開始。
- 2023年
- 中央大学法学部の通信教育課程を卒業。最初の大学卒業から20年後、学士(法学)を取得した。
- 2025年
- 磐田市議会議員選挙に立候補。1,469票を得て落選。その後も磐田の暮らしと市政について執筆を続けている。
市政と暮らしについて、自分の名前で書く
会社の代表としての発信とは別に、大石は個人の公式サイトで、磐田でどんな暮らしを実現したいかを綴っている。2025年の市議選後も、市の事業や生活の手続きを調べる記事と、自身の考えを示す文章を書き分けてきた。「こんな磐田にしたい」では暮らしを六つのテーマから捉え、「47歳の決意」ではその時点での思いを本人の言葉で読むことができる。